うなじろうさんのサラダ時間ブログ

やりがいを求めない生き方

どもっうなじろうです

「やりがい」というものについてこの仕事はやりがいがあるとか無いとかそんな話をしている人がいる。

つまるところ、やりがいというのはやって意味があるかどうか、価値があるかどうかという物だと思うのだが、賃金が発生している時点で価値はあるのだろうから、どんな仕事にもやりがいはあるのだと思う。

本当に必要のない仕事なら最終的に自然淘汰されていくものだからだ

おそらくやりがいを求めるというのは結局のところ本人が楽しくできているかどうかという部分が大きいのだと思う。

やりがいを感じられないという場合はその仕事が持っている価値を当人が見つけられていないからそうなるのだろう。

仕事に価値を見出す方法などという物はいくらでも世間に出回っているのでその辺を参考にするとして、そもそもやりがいが必要なのだろうか。

本人が「そもそも何のために働くのか」という部分を意識して生活していればおのずとその仕事をするべきかどうかはわかってくると思うのだが、何のために働くかと現在の仕事が合致していればやりがいのある仕事かどうかはあまり関係がない気がする。

私の場合、日々の生活の糧を稼ぐ為であり、そこから派生する家族との楽しい時間や趣味の時間を得るためである。

日々の生活を楽しく送れているのは紛れもなく今の仕事をさせてもらっているからである。正直感謝しかない。

やりがいのない仕事だから人生を楽しめないのではなく、人生を楽しめていないからやりがいのある仕事が欲しくなるのだ。

あくまで仕事というのは生活の一部であり手段である。ただ、日銭を稼ぐ手段と割り切ってそれ以外をしっかりと味わって生活するというのも一つの人生だし、大事なことだと私は思う。

そもそも皆が求めるやりがいと言うのは、凄く曖昧だ。「やるかいがある」と言う意味だから、やった事で何かメリットを求めている訳だ。

先程からなんども言っている様に既にどんな仕事にもメリットは存在しているので生活が成り立っている時点でやりがいは有るのだが、それでは皆納得しない。

では皆何を求めているのか、使われている言葉のニュアンスから察するに「社会貢献からなる達成感」のような物だと思う。

この達成感は厄介だ

何故なら業務上達成感を感じる機会は稀だからだ。明確な目標が設定されている場合は、その目標を達成出来た時だけは感じる事ができるかも知れない。

ただ、基本的に達成感とは自分が欲しくて堪らない物を手に入れた時に感じるものなので、他者から与えられた目標では余り大きな達成感は感じる事が出来ない。

所詮、他人が欲しいものを手に入れただけだからだ。幸いにして会社の目標と自分の目標が合致している人はそれだけで達成感を得られるだろう。この場合、会社側が上手くやったなと私は思う。

結局、達成感は自分で目標を定めて取り組んで行くしか無くて、余りどの仕事だからと言うのは関係が無いのだ。

やりがいが欲しいと言っている暇があれば目標でも決めていたほうが余程意味がある行為と言える。

目標と言ってもそんなに大げさなもので無くても良い。例えば「この仕事をいつもより5分早く終わらせる」とかそんな程度の物で十分だ。

そういう物が積み重なって達成感に繋がるのだ。

逆に「やりがいが欲しい」などと言っていると目の前にある仕事に集中できなくなるので、むしろ逆効果だ。

やりがいだのと言う前に目の前の仕事をさっさと片付ける方法を考えた方が余程やりがいのある事だと私は思う

と思ったので、ここに書き留めておきました。

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